裁判員制度を斬る

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いよいよ裁判員制度がスタートしたわけだが、当然皆さんはこの制度に対して様々な思いがあるだろう。

この制度は成人男女全てが対象(一部例外は除く)になっている以上、いつものように「私には関係ない」と

やり過ごすことはできないのだから。

私は制度そのものはあっていいというスタンスなのだが、如何せん現行の制度は不完全なものである為、

声を大にして賛成を表明するには至らないのである。しかし裁判員に指名されても拒むつもりは毛頭ない。

それは何故か。貴重な経験ができること、そしてそれを機に法律や犯罪、被害者と加害者双方の心理、

人間の生き様などについて、より深く考えるようになるだろうと思うからだ。

我々一般人は、日常でそれほど法律を意識して生活していない。一つは犯罪に巻き込まれる、あるいは

巻き込むことを大多数が前提として生活しておらず、それらが非日常的風景であること。二つ目は法律よりも

感情や一般常識を判断材料にしながら、物事に対応していることが理由として挙げられる。

そして裁判員に求められているのが、まさにこれらのことなのではないだろうか。法律の専門家は法律という

枠組みの中で、過去の判例等を過分に意識しながら裁判にあたる。要するに法曹界という狭い範囲内での、

特殊な常識の中で動いているということだ。さすればおのずと視野も狭くなり、小さな器の中で視点を変えても

景色はほとんど変わらないという事態に陥る。

裁判員制度に反対する意見の中に「知識もないのに人を裁くことなどできない」というものがあったのだが、

元々一般市民に専門知識を求めておらず、逆に無知であることを求めているからこその裁判員制度だろう。

知識の乏しい人は、時に想像すらしなかった突拍子もない意見を述べたりすることがある。無知が生み出す

発想力には、時として驚かされるものだ。知識という“鎧”を纏っていない分、柔軟な発想ができるのである。

それが司法に対して一石を投じ、良き判例を作ることになる可能性も十分に考えられるのではないだろうか。

裁判員として判決を決定する一要素となり、それが他人の人生を大きく左右するであろうことを考えれば、

多大な責任を感じるのは当然のことだ。そのような責任を国民に負わせてまで裁判員制度を導入したことに、

怒りさえ覚えるという意見が出るのも分かる。しかしあまり神経質になることなく、裁判員に選出されたなら、

裁判が公正に行われているかどうか、判決や量刑が適正であるかどうかを自らの考え方で判断し、自分を

信じて堂々と意見を述べればそれでいいと、私は思う。

とにかく賛成であろうと反対であろうと、既に裁判員制度の運用は開始されたのだ。今後は様々な角度から

しっかりと検証し、問題点はどこなのか、真に必要な制度かどうかを見極めていくことが重要である。


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コメント
この記事へのコメント
私のブログに書いたような人が裁判員になっちゃったら
「だいたい私がきちんとした判断下せないのは裁判委員長が私の言わんとすることをきちんと理解できないからこうなったわけで。だからこんな犯罪が起きるんだと思います」なんて感じで
わけわかんない結論出しそうだし。
人が人を裁く。確かに難しいことですね。

だけど逆にいえばだれでもが犯罪に巻き込まれる可能性もあるわけで、「もし自分だったら」という相手を思いやって自分のわがふりを見なおすことも、日常生活ではあるわけで。

私の意見としては秋坂さんと同様で、そんなに気負わなくても、自分の尺度で考えたらいいんじゃないかな、ってところです。
2009/05/22(金) 22:26 | URL | bonne_nuit #-[ 編集]
クレーマーの要素を持ってる人も、考えようによっては
案外と役に立つ可能性はあるんだけど・・・。
しかしあのバカ女みたいなのは何の役にも立たないだろうね。
例えば弁当の鮭がしょっぱかったとか、椅子の座り心地が悪いとか、
裁判と無関係のところばかりにクレームつけると思うよ。
自分が良ければ他人は関係ないって考えしてるからね。
2009/05/23(土) 00:21 | URL | 秋坂昇龍 #-[ 編集]
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